ナラティヴの日本語訳は「物語」で良いのか?
ここ数年で「ナラティヴ(ナラティブ)」という言葉が社会一般にも浸透しつつあります。聞いたことがある方もいらっしゃるかと思われます。しかしながらその意味を正確にイメージできる、理解できる人は案外少ないのかなと感じています。
というのも、「ナラティヴ」を「物語」と訳して説明していることが多いからです。私も最初は「ナラティヴ」=「物語」と理解していました。しかしその後、理解を深めていくにつれ「ナラティヴ」に「物語」という訳は合わないのではないかと疑問が生じ、「ナラティヴ」を正確に捉えにくいという結論に至りました。
では 「ナラティヴ」 に対応する日本語訳は何になるのでしょうか。そもそも日本語にない概念なのでしょうか。
ナラティヴの語源と類似語
そこで「ナラティヴ(narrative)」 という英語の語源を辿ってみましょう。 narrative の原形は古語であるラテン語の narro から来ていると考えられます。( narro の語源を更に遡ることもできますがここでは省略します)
narro から派生した英語として narrative の他に、「ナレーション(narration)」「ナレーター(narrator)」等が挙げられます。この2つは日常でも良く見かける言葉ですね。「ナラティヴ」はこの2つの親戚にあたります。
narro, narration, narrator を訳すと以下のようになります。
narro = 伝える。話す。物語る。
narration = 話術。話法。物語ること。
narrator = 話し手。語り手。物語る人。
narro には、話すことで伝えるという意味合いが含まれていると考えられます。なので私たちが日ごろ接することが多い「ナレーション」は、映像について話したり、声を吹き込んだりすることで制作者の意図や意味を伝えようとします。「ナレーター」はそのナレーションを話す話し手であることもイメージしやすいかなと思われます。
以上を踏まえて、narrative を再考してみましょう。
ナラティヴは「語り」と訳すとしっくり来る
見出しにも書きましたように、私は 「ナラティヴ」を「語り」と訳すのが最も適切だと考えています。語源を辿ると「伝える」「話す」という意図が根源にあり、相手に語りかけていくように訴えていくようなニュアンスなのかなと考えています。
その手法はやはり物語的であって 「ナラティヴ」=「語り」 は、話を筋道立てて展開していくことが特徴かと思われます。ここについては「物語」と共通する所だろうと思います。「物語る」という言葉を使って訳されていることが多い理由だと思われます。
では「物語」と「語り」の違いは何か。簡潔に言えば以下の2点になると私は考えています。
● 即興性が高く、今その場で相手に対して自らの意思で話を筋道立てて展開している。
● 話の内容に区切りやオチがついておらず完結していない。現在進行形になっている。
この2つが両方当てはまれば「語り」= 「ナラティヴ」 となり、そうでなければ「物語」となるのではないでしょうか。
つまり 「ナラティヴ」 とは、相手に伝えるために即興で話を筋道立てて話していくプロセスであり、そこに終わりはなく、また自由に筋道を変えることもできる自由度の高い「語り」と言えると思われます。
まだわかりにくいかなと思われるので、また別記事で詳しく取り上げる予定です。